アンパンマンの作者、やなせたかしさんの奥さんは小松暢(こまつのぶ)さんです。
朝ドラ『あんぱん』のモデルになっています。
やなせさんの暢さんへの思いは「非常に熱い熱い愛情に満ちたものであった」と語られるほど。
やなせたかしの妻・小松暢さんとはどんな人物なのでしょうか?
この記事では、二人の出会いと生涯を調べました。
【やなせたかしの妻】のぶさんとは?
【#朝ドラ 『#あんぱん』】
— NHK高知放送局 (@nhk_kochi_) October 20, 2023
2025年度前期 連続テレビ小説「あんぱん」#アンパンマン を生んだ高知県出身の漫画家 #やなせたかし さん 、妻 小松暢さんがモデルです。
お2人のお写真をご紹介します↓ pic.twitter.com/OvuE4mJiL3
やなせたかしさんの奥さんは、小松暢(こまつのぶ)さんです。
1918年に大阪で生まれ、高等女学校を卒業しています。
女性がこの時代に高等女学校まで卒業しているので、裕福な家庭出身だったのでしょうか。
大阪出身の暢さんは、1946年に高知新聞社に就職。
暢さんの父親が高知県安芸市出身なので、父親のゆかりの地で就職したのではと推測されます。

暢さんは、高知新聞社が戦後に初採用した女性記者2人のうちの1人です!
やなせたかしと、のぶさんの出会いは?


1946年に、やなせさんも高知新聞社に入社しています。
やなせさんは、1歳年上の行動力ある美少女タイプの暢さんに一目ぼれ!



まさに運命の出会いです
しかし、暢さんは1年もしないうちに別の仕事に転職するため、新聞社を辞めて上京。
暢さんが上京すると、やなせさんも追いかけて上京。
「居候」として転がり込んだそうです!
その甲斐あって1947年(昭和22年)に、2人は結婚しました。
やなせたかしを支えた続けた妻・のぶさん
「アンパンマン」が世に出たのは1969年。
やなせさんが50歳の時なので、マンガ家としては遅咲きと言われています。
その間、ずっと影で支え続けたのが暢さんです!
「なんとかなるわ。収入がなければ私が働いて食べさせるから」と誰よりも、やなせさんの才能を信じていました。
やなせさんも「仕事以外はすべてカミさんに頼っていた」と語るほど、お互いに信じあっていたのが分かります!
のぶさんは『ドキンちゃん』のような存在だった?


暢さんが「ドキンちゃん」のモデルだと、やなせさん自身は公言していません。
しかし、ドキンちゃんの好奇心旺盛な性格、ちょっと自分勝手だけど憎めないところなど、暢さんに当てはまりませんか?



やなせさんを置いて、先に東京に行ってしまうほどですからね
土佐弁で、“はちきん”とは勝気で活発な、元気のある女性のこと表現します。
まさに暢さんの“はちきん”なところが、天真らんまんなドキンちゃんの性格に現れているようです。
やなせたかしさんの愛弟子・梯久美子さんによると
「やなせ先生って、すっごく明るくて元気な女の人が好きなんですよ、華やかな感じの。だから、奥さまは控え目な方なのになと思ってたんですけど、若い時のエピソードを聞くと、やなせ先生の何倍も元気な感じの方だったみたいなので、暢さんの方が。(やなせ先生にとって)太陽みたいな存在じゃないですかね。こういう人と一緒にいたら明るくなれるんじゃないかなと思ったんじゃないでしょうかね」
引用:FNNプライムオンラインより
と、やなせさん夫婦について語っています。
太陽のような暢さんの存在が、ドキンちゃんという愛されキャラクターを生み出したのではないでしょうか。
やなせさん夫婦の生涯は?
妻の暢さんは、やなせさんより早くに癌で亡くなっています。
2人の間に子供はいません。
しかし「アンパンマンがぼくらの子供だ」と、暢さんの病床にアンパンマンのタオルを積みあげて、看護師や見舞い客に配ったエピソードが残っています。



病床でこの言葉を聞いた暢さんは、きっと嬉しかったことでしょう!
その後やなせさんに、高知県香美市にある生家の跡地に自分の墓を建てる話が持ち上がります。
「(奥さんが)一人ぼっちになるから僕と一緒に眠った方が。お墓を一緒にする」と、暢さんのお墓も東京から高知県に移しました。
現在は「朴ノ木公園」に、2人の名前が刻まれた墓標を見ることができます。
終わりに
小松暢さんは、やなせたかしさんを生涯支え続けました。
やなせさんの才能が確かなものでも、なかなか真似できることではありません。
素敵なご夫婦で、羨ましい限りです。
アンパンマンは、これから先もずっと愛され続ける作品の1つに間違いないでしょう!