朝ドラ『あんぱん』のモデルとなっている、やなせたかしさん
アンパンマンの生みの親で知られていますよね。
早くに父を亡くし、母が再婚、弟の戦死、自身の出兵など、若い頃は苦労されたようです。
この記事では幼少期から波乱万丈な人生を送った、やなせたかしさんの生い立ちを解説していきます。
やなせたかしさんの生い立ち
やなせたかしさんは1919年2月6日に生まれました。
やなせさんと言えば高知県のイメージがありますよね?

出生については、高知県と東京都の2説あるんです!
1つ目は、父親が新聞記者をしていて、東京都北区滝野川で生まれたが、出生届は高知県在所村で出されたので高知県出身とされている。
2つ目は、やなせたかし記念館の機関誌に「近年の調査により在所村出生であることが判明」と書かれている。
どちらにしても高知県出身で間違いないのですが、高知県としては出生地も重要ですね!
やなせたかしさんの家族
やなせたかし(本名・柳瀬 嵩)さんは4人家族です。
家族構成を解説していきましょう。
やなせさんには2歳下の弟がいました。
コンパスで描いたような丸い顔で、アンパンマンを描くときには千尋さんを思い出し、胸が切なくなったそうです。
やなせたかしさんの波乱万丈な幼少期


父・清さんは朝日新聞の特派員として中国に渡りましたが、32歳の時にアモイで病死しています。
やなせさんが5歳、千尋さんが3歳の時でした。
ここから、やなせさんの波乱万丈の人生が始まります。
弟の千尋さんは開業医をしていた伯父に養子として引き取られ、やなせさんは母と母方の祖母と、高知市に住んでいました。
幼少期に一家離散
やなせさんが小学2年生の時に母親の再婚が決まり、やなせさんも伯父のとこへ預けられることになりました。



この時代、子供連れで再婚は難しかったのでしょう
伯父は大切に育ててくれましたが、弟は養子で、やなせさんは居候となるので疎外感を感じたことでしょう。
お金を使わせてはいけないと思い、修学旅行は行かなかったそうです。
お世話になった伯父は、やなせさんが学生時代に亡くなります。
召集される
やなせさんは21歳の時に田辺元三郎商店(現・田辺三菱製薬)に就職しています。
薬の広告の絵などを描いていたそうです!
絵を描ける仕事だったので楽しんでいたころ、やなせさんにも召集がかかります。
小倉の野戦重砲の七三部隊へ入隊
中国大陸へ出兵
上海近郊で終戦を迎える
中国より帰国
やなせさんは戦闘のない地域にいたので、無事に生き延びることができました。
しかし、そのことが「恥ずかしかった」と後ろめたさを語っています。
帰国後は?
無事に帰郷したやなせさん。
伯母から、弟が戦死したことを告げられます。
のちに22歳の若さで海に散った千尋さんとの思い出を『やなせたかしおとうとものがたり』で綴っています。



戦後、やなせさんは友人に誘われて、くず拾いの仕事に就きます。
進駐軍のごみとして集めた雑誌の挿絵を見るうちに、絵を描くことへの意欲が高まり高知新聞社へ入社。
この入社がきっかけで、妻となる暢さんと運命の出会いをし、新しい人生の始まりと言えるでしょう。
終わりに
朝ドラ『あんぱん』のモデルとなった、やなせたかしさんの生い立ちについて調べました。
辛い出来事を経験した生い立ちは、やなせさんの作品に深く関わっていることでしょう。
遅咲きと言われた、やなせさんですが、アンパンマンはいつの時代でも愛される作品となりました。