なぜ【漫画家やなせたかし】が作詞?「手のひらを太陽に」誕生のきっかけ

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「アンパンマン」で有名な、やなせたかしさんは漫画家のイメージが強いですよね?

日本人なら誰もが知っていて、音楽の教科書に掲載されている有名曲

「手のひらを太陽に」

作詞を担当したのは、やなせたかしさんです。

なぜ、漫画家のやなせさんが作詞をしているのか?

この記事では、「手のひらを太陽に」誕生のきっかけを考察していきます。

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目次

なぜ漫画家やなせたかしが作詞を?

1953年から漫画家として独立したやなせさん。

広告漫画を手がけていましたが、時代はストーリー漫画が主流になっていきます。

そのため、漫画の仕事は減少します

生計を立てるため、妻の暢さんと支えあい、仕事は何でも引き受けたそうです。

昔から歌をつくるのが好きだったやなせさん。

しかし、当時は作詞も生活を支えるための1つだったのでしょうか?

やなせたかしさんの妻・暢さんとは?

漫画家やなせたかしが作詞をすることになったきっかけ

やなせさんは漫画だけではなく、インタビュアー、ラジオ、テレビの構成、映画の脚本など、あらゆる分野で才能を発揮していきます。

マルチタレントと評されるようになった、やなせさんは人脈も広げていきます

1960年には、永六輔さんが作演出のミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の舞台装置のデザインを担当。

この時に、作曲家いずみたくさんと出会います。

いずみたくの代表曲は?

見上げてごらん夜の星を
いい湯だな
ゲゲゲの鬼太郎
徹子の部屋

1961年に教育テレビのニュースショーで、今月の歌というシリーズを企画。

自身で作詞をし、いずみたくさんに作曲を頼みました。

この時に誕生したのが「手のひらを太陽に」でした!

「手のひらを太陽に」誕生のきっかけは?

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多方面で活躍し生活には困らなくなっていた、やなせさん。

しかし、後輩たちが漫画家として活躍する様子は、うらやましく感じていたはずです。

1961年42歳の頃、代表作がなかなか描けなくても、黙々と漫画を描き続けていました。

夜の仕事場でふと自身の手に懐中電灯の光をあてます。

すると自分はくたびれているのに、手のひらには赤く熱い血が流れていることに、不思議さと美しさを感じたそうです。

名曲「手のひらを太陽に」の歌詞が生まれるきっかけに!

「手のひらを太陽に」誕生から人気が出るまで

「手のひらを太陽に」は、いずみたくさんに作曲をしてもらうも人気が出るまでに時間がかかりました。

1961年

日本教育テレビ「ニュースショー」の番組内で『今月の歌』を発表

1962年

NHK『みんなのうた』で放送されるも反響なし

1965年

NHK「紅白歌合戦」でボニージャックスが歌い大ヒット

誕生から4年経って大ヒットを記録し、音楽の教科書にも採用されることに!

後に、長く歌い継いでほしい「日本の歌百選」にも選ばれる名曲となりました

終わりに

詩人としての才能もあった、やなせたかしさん。

「手のひらを太陽に」の歌詞は1回聞いただけでも覚えやすく、今でも長く歌い継がれていますよね!

「生きている」という歌詞は戦争を体験した、やなせさんだからこそだせる強いメッセージと言えるでしょう。

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