第112作目の連続テレビ小説『あんぱん』が2025年3月31日からスタートしますね!
アンパンマンの作者で漫画家のやなせたかしさんの奥さんは小松暢(こまつのぶ)さんです。やなせさんの暢さんへの思いは、非常に熱い熱い愛情に満ちたものであった、と語られるほど愛されていた暢さん。
一体どんな人物なのでしょうか?
この記事では妻・小松暢さんについて調査しました。
二人の愛情に満ちた生涯にも注目です!
小松暢さんとは?
【#朝ドラ 『#あんぱん』】
— NHK高知放送局 (@nhk_kochi_) October 20, 2023
2025年度前期 連続テレビ小説「あんぱん」#アンパンマン を生んだ高知県出身の漫画家 #やなせたかし さん 、妻 小松暢さんがモデルです。
お2人のお写真をご紹介します↓ pic.twitter.com/OvuE4mJiL3
1918年に大阪で生まれ、高等女学校を卒業しています。
女性がこの時代に高等女学校まで卒業しているとなると、裕福な家庭出身だったのでしょう。
大阪出身の暢さんですが、1946年に高知新聞社に就職しました。
暢さんの父親が高知県安芸市出身なので、父親のゆかりの地で就職したのではと推測されます。
暢さんは高知新聞社が戦後に
初採用した女性記者
2人のうちの1人
と言われています!
2人の出会い
同じく1946年に高知新聞社に入社した、やなせたかしさん。
1歳年上の行動力ある美少女タイプの暢さんに一目ぼれだったそうです!
まさに運命の出会いですね。
しかし、暢さんは1年もしないうちに別の仕事に転職するため新聞社を辞めて上京してしまいます。
暢さんが上京すると、やなせさんは追いかけて上京し「居候」として転がり込んだそうです!
その甲斐あって、1947年(昭和22年)に暢さんとやなせさんは結婚されています。
支えた続けた小松暢さん
やなせさんはマンガ家としては遅咲きと言われていて、その間ずっと影で支え続けたのが妻の暢さんです。
みなさんご存じの「アンパンマン」が世に出たのは1969年、やなせさんが50歳の時なので苦労された時もあると思われます。
暢さんは「なんとかなるわ。収入がなければ私が働いて食べさせるから」と誰よりも、やなせさんの才能を信じ、やなせさんも「仕事以外はすべてカミさんに頼っていた」と語るほど、お互いに信じあっていたのが分かりますね!
生涯愛され続けた小松暢さん
妻の暢さんは、やなせさんより早くに癌で亡くなっています。
やなせさんは香美市にある生家の跡地に自分の墓を建てる話が持ち上がった時に「一人ぼっちになるから僕と一緒に眠った方が。お墓を一緒にする」と暢さんのお墓も東京から高知県に移すと話されたそうです。
現在は高知県香美市「朴ノ木公園」に2人の名前が刻まれた墓標を見ることができます。
墓標の脇にはアンパンマンとばいきんまんが斜めを向いて立っていて、その先には「やなせたかし記念館アンパンマンミュージアム」があり、いつも子供たちを愛情深く見守ってくれています。
「ドキンちゃん」のモデルは暢さん?
暢さんが「ドキンちゃん」のモデルだと、やなせさん自身は公言していませんが、ドキンちゃんの好奇心旺盛な性格、ちょっと自分勝手だけど憎めないところなど暢さんに当てはまりませんか?
やなせさんを置いて先に東京に
行ってしまうほどですからね
土佐弁で“はちきん”とは勝気で活発な、元気のある女性のこと表現します。
まさに暢さんの“はちきん”なところが、天真らんまんなドキンちゃんの性格に現れているようです。
やなせたかしさんの愛弟子・梯久美子さんによると
「やなせ先生って、すっごく明るくて元気な女の人が好きなんですよ、華やかな感じの。だから、奥さまは控え目な方なのになと思ってたんですけど、若い時のエピソードを聞くと、やなせ先生の何倍も元気な感じの方だったみたいなので、暢さんの方が。(やなせ先生にとって)太陽みたいな存在じゃないですかね。こういう人と一緒にいたら明るくなれるんじゃないかなと思ったんじゃないでしょうかね」
引用:FNNプライムオンラインより
と、やなせさん夫婦について語っています。
太陽のような暢さんの存在がドキンちゃんという愛されキャラクターを生み出したのではないでしょうか。
終わりに
やなせたかしさんを生涯支え続けた小松暢さん。
2人の間にお子さんはいませんが「アンパンマンがぼくらの子供だ」と、暢さんの病床にアンパンマンのタオルを積みあげて、看護師さんや見舞い客に配っていたエピソードが残っています。
アンパンマンは二人の作品だという、やなせさんの暢さんに対する深い愛情が伝わってきますね。
小松暢さんとやなせたかしさんがモデルになった「愛と勇気」の物語、連続テレビ小説『あんぱん』の放送が待ち遠しいです!